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歴史

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日本と牛乳の歴史:食物帝国主義

 帝国主義と言うと銃や大砲を思い浮かべるかもしれませんが、最近 “culinary imperialism”、つまり「食物帝国主義」というものが学界で取り上げられています。 食べ物を帝国主義と結びつけるのは大袈裟ではないかという反応は十分理解できますが、「帝国主義」の定義を見てみましょう: 「飽くことなく自国の領土・勢力範囲を広げようとする侵略的傾向。」  帝国主義の勢力範囲の広げ方を、ただ土地の問題に止めるのは間違いではないでしょうか。歴史を見ると、帝国主義は政治と経済の問題でありながら、社会、文化、言語の問題でもあります。日本が韓国を植民地にした時、韓国人は日本語を無理矢理学ばされた例が我が国の歴史にもあります。  日本は西洋ではない国の中で珍しく、植民地になったことはありませんが、食事を含む文化の面では帝国主義の影響は逃れませんでした。19世紀の日本が必死に西洋の技術やファッションを取り入れ、その中には化学技術のように「進化」と呼べるものも沢山あった一方、ただの「西洋化」もありました。 「西洋化」は帝国主義のプレッシャー、例えば植民地にされたくないことや自国の文化を見下し西洋の真似をすることで生まれるもので、客観的な国としての進歩、例えば国民をより健康にすることや人権をより守ることとは違います。 「西洋化」イコール「進化」ではないということです。そしてこれは文化の交換を指摘している訳でもありません。二つの文化のお互いの芸術や生活様式を学び合うことと、戦力が釣り合ってない二つの国の間で戦力が弱い国が強い国をなんでも真似しようとすることは、違います。  ここで伝えたいことは、19世紀から20世紀にわたる帝国主義の影響による日本と牛乳の歴史です。牛乳は「野蛮な日本」が西洋化によって文明化しようとする思いの象徴だったのです。その歴史を少し辿ってみましょう。  牛乳は元々日本では飲まれていませんでした。飛鳥時代に韓国から持ってきた記録もありますが、最初に日本で牛乳が飲まれるようになったのは19世紀に外国人、主にオランダ人が日本に住み始めてからです。1870年に東京で最初の牛乳店が開かれましたが、お客さんはみんな外国人でした。それが変わり始めたきっかけは明治維新です。  明治政府は、帝国主義の強い戦力をもつアメリカを見て、アメリカ人と同じ肉や牛乳を自国民に食べて欲しかったのです。西洋の帝国主義を真似しようと思うところも間違いであった上、アメリカ人は肉や牛乳を食べることで強い戦力を持っていた訳でもありませんでした。 しかし植民地にされたくない日本は、西洋の何もかもがより良く見え、それを真似することに必死でした。 政府のサポートにより牛肉や牛乳を売る企業も北海道を中心に成立されました。明治天皇が毎日2回牛乳を飲むことが新聞にも掲載されました。 それくらい、牛乳は政治的な商品で、明治政府から推されていたのです。牛乳が「万病に効く薬」で、飲むと「不老長寿が実現する」、「頭が良くなる」、「根気が鍛えられる」など、科学的証拠のない発言がチラシに載り広まりました。(資料)  この程度の科学的根拠のない発言は今では信じられてはいませんが、今でも牛乳は体に良くて、強い骨や成長に繋がると一般的に思われています。 しかし、研究によると牛乳は成長とは関係ない上(資料)、逆に骨を弱める結果が出た研究もあります(資料)。特に日本人の大半は乳糖不耐症であり、白人と違って、牛乳を消化できる体質ではありません(資料)。実は世界に目を向けても多数の人は乳糖不耐症であるのですが(資料)、たまたま帝国主義で自国の生活様式を広めようとするのが、様々な人種の中で唯一牛乳を飲む白人だったことが不運とも言えるかもしれません。  乳糖不耐症の科学も知らず、明治政府の支援も受けながら、牛乳は「開化國」 の「養生ノ一物」として奨励されました。1871年にはほんの数社だった牛乳の企業が、1900年には329社になりました。赤ちゃんには母乳をあげずに牛乳を飲ませるトレンドも始まりました。  家畜を飼う上で避けられない問題が伝染病ですが、この頃から牛による伝染病は「社会問題」にまで発展するほど頻繁に起こり始めました。(資料)  牛乳が主流化したのは20世紀の後半で、つい最近のことです。第二次世界大戦後、食物の支援も、学校の給食も、アメリカが支配していました。給食で牛乳を飲んだ子供達が乳糖不耐症で下痢や消化不良などの症状が出て、「不思議な病気」として広まっても、連合国軍は給食に牛乳を入れることをやめませんでした(資料)。  こんな中、連合国軍最高司令部は「栄養改善運動」を始め、キッチンカーを全国に走らせ、肉と牛乳とバターを使った料理教室を行ったり、健康に良いという広告を始めたりしました。それが功を奏してか、1941年から1953年にかけ牛乳の消費は倍になりました。戦争が終わって20年たった時点ではそれが10倍にもなりました。 戦後のキッチンカー  戦後は日本人の平均身長も寿命も伸びましたが、それは食生活が西洋化したおかげという意見もあります。 …

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ほぼベジタリアンだった日本が、なぜ肉消費の大国になったのか

元々日本は、肉食をほとんどしない今でいうベジタリアンの食生活が普通でした。しかし、今は肉消費が当た前でむしろベジタリアンが少数派になっています。 ではなぜこうした変化が起こったのかを、オーストラリアのビジネスニュースサイトBUSINESS INSIDER AUSTRALIAで記されていたものを翻訳し紹介します。     肉食が進んだ第一の東南アジアの国で、しかももともとベジタリアンだったところから束の間に肉好きな国家になったのは、日本だ。1939年になりようやく、典型的な日本人は1日に0.1オンス(2.8g)の肉を食べていた。もちろんこれは年間の消費量を日にちで割った平均値である。今日、一般的な日本人の1日当たりの肉消費量は、4.7オンス(133.2g)であり、一番好まれる肉の種類は、寿司のマグロでもなく、ブタである。   昔の日本人は、ほとんどベジタリアンの食生活をしていた。国家の宗教である仏教や神道はどちらも菜食を促進していたのだが、それだけではなく日本人を肉から離していた大きな要因は、日本が島国であり耕作地が不足していたことであった。 家畜を育てることは、植物を栽培するよりもはるかに土地を使う。そして既に中世の日本では、大量の森が畑のために伐採され、多くの役畜(耕作や運搬などの労役に使う家畜)が肉のために殺されていた。こういったことを受けて、日本の統治者が肉食禁止令を発行することになった。 その初めての禁止令では、晩春から秋にかけて日本で仕留められるウシ、サル、トリ、犬を禁止していた。後に、さらなる禁止令が続いた。時に日本人は肉への欲求を狩りで満たすこともあったが、人口が増えて森が食糧のために開拓されていくにつれて、シカやイノシシは消えていき一般的な食卓からもそれらの肉は消えていった。   18世紀に入り、初めのうちは穏やかに変化が起きてきた。健康のために肉食をするという概念を日本人にもたらしたのは、オランダ人だった。日本人は、背の高い西洋人たちの肉にあふれた食事が発展の象徴と見るようになった。 1872年に日本人の食生活は、肉食へと急速に変わった。その年の1月24日に詩人でもあった明治天皇が初めて公で肉を食した。このことで、国民も彼の行いに続くことが許されることとなった。 ほんの5年で、東京のウシ消費量は13倍になった。この量の増加を支えたのは、韓国からの輸入だった。明治天皇と彼の政府は、肉というものが日本を近代化させる1つであり健康を促進するものとして捉えただけでなく、軍事力を強化するものと理解した。そのころの日本の兵隊は、16%以上の兵隊候補が最低限の身長に足らないほどに、小さくて細いというのが典型だった。     第二次世界大戦後のアメリカによる占領により、第二の大きな肉消費拡大への動きが始まった。日本人は、戦争の勝利を、ハンバーガーやステーキ、そしてベーコンをたくさん食べることと繋げて考えた。 日本マクドナルドの会長を務めた田藤田氏は、この所感をとてもうまく表現した。「何千年もハンバーガーを食べ続けていれば日本人も金髪になるだろう。金髪になれば世界を征服できる。」   以上、翻訳紹介でした。どうでしたでしょうか。 この記事を読んで、肉食がほとんどなかった私たちの国が今では肉食が当たり前になった歴史を、少し知ることができたように思います。 当時の日本人は、大きな体や強さ、西洋の文化への憧れというものを肉食と結びつけたのでしょう。そして日本人の移ろいやすい気質にも肉食の拡大は関係しているように感じます。 江戸時代の飛脚は、江戸から京都までの500km近い道のりを3,4日で走りました。菜食でありながら持久力があり小さいけれども頑丈な彼らの体に、逆に西洋人は驚いたと言われています。 …