命に向き合う、インドネシア犠牲祭の日に考えたこと

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私が住むロンボク島は、90%以上がイスラム教徒。

彼らの生活は、宗教をもとに成り立っています。

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Photo: ロンボクにある南のビーチKuta

そして、毎年9月には、イード・アル=アドハー(犠牲祭)があり、
この日にイスラム教徒は、動物を殺して全能の神アッラーに捧げる宗教的なお祭りをします。

私の住む村には、この犠牲祭の1か月前ほどから、この日のために殺される家畜がたくさん集められます。

1週間前には、何百匹ものヤギや牛が、各家の軒先に集められ、夜通し悲しそうに泣く声が聞こえてきます。

そして、犠牲祭の日、たった一日で、動物たちはすべて殺されてしまいまいた。

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彼らの目を見ると、とても優しい目をしています。

助けてあげたくても、助けてあげられない、ただやり過ごすしかできない1日。

自分の無力さを感じ、悲しくて苦しくてたまりませんでした。

そもそも、一日にこれだけの動物を殺して、彼らの肉を全部食べられるわけもありません。

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屠殺を通して、「命の意味を考える」、というけれど、もし、
実際に動物を自分の手で殺してみて、または、殺すのをみて、
かわいそうと思うのなら、

「動物を食べない」という選択肢を考えてみてほしいです。

 

動物を食べなくても生きていけます。

「感謝して食べる」というけれど、
私は誰かに感謝されたからといって、殺されたくはないし、食べられたくないです。

当然、動物たちも同じ気持ちだと思います。

 

宗教に関する行事については、なかなか口にするのが難しいことが多いです。

しかし、ネパールでの動物が大量虐殺されるガディマイ祭も、
世界中の動物愛護団体はじめ、外部の団体の意見によって、縮小、また、廃止への動きが高まっています。

だからこそ、「難しい」と諦め、思考停止するのではなくて、
どんな時も希望を持って、動物と人間が共存できる世界を目指していきたいと、この日強く思いました。

 

Written by ゆーこりん

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